JCBプラザ入り口。受付で連れ合いのマッサージとレストランの 予約がしたい旨、伝えると、横の机へと案内される。女性が2人出 てきて、新人研修で対応させて貰っていいですかと聞いてきたので、 まあ、特に問題も無いのでOKした。まず、連れ合いのマッサージの 予約を頼む。明日でホテルから歩いて行ける範囲という事で、 ザ・ロイヤル・ハワイアンホテルの中にあるアバサ・ワイキキ・スパに 「日本語で話の出来る女性」という条件で予約して貰った。しかし、 やっぱり慣れていないため、電話をしては確認をして、電話を切って は確認をして、また電話をしては・・・と、数回の電話のやりとりが あった。その間、隣についた指導の係だろう女性が、所々、確認 事項等を指示しながらになったため、少々、手間取った。その後、 オマールが食べられるレストランで歩いて行ける範囲で探して貰い、 チャイナガーデンという中華料理の店を予約して貰った。息子がして みたいと言っていた射撃場のパンフレットを貰い、アリゾナ・メモリアル までの道を尋ねると、地図を出してきて、「持って行きますか?」と 聞かれた。無料で地図の貸し出しサービスをしているとの事。 もちろん、借りることにした。ワイキキからH1への乗り方を書いた コピーを貰った。このコピー、親切に書いてあるので、重宝した。 |
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JCBプラザの用事が済むと、すぐ横にあるおみやげ屋さんに よる事にした。商売上手なおばさんがいろいろと話しかけてくる。 ハワイアンキルトを「よその免税店より安いよ。」と勧めてくれる。 結構、家庭的な人で、買ったおみやげを僕に渡さず、子どもの役目 とばかりに息子に持たせたりする。ハワイアンキルトや会社への 土産に草履やサーフボードの形をしたマグネットを買った。結構、 買ったのでそこそこの値段になってしまった。店を出ると、後ろで おばさんが息子に何か耳打ちをしていた。息子は、ガラスで出来た 置物が欲しくて見ていたが、小遣いと相談をして買うのをやめていた。 結局、買わされたかなと、出てきた息子に聞いてみると、お父さんと お母さんがたくさん買ってくれたので、ひとつ、欲しい物をあげると、 包んでくれたとの事。息子がその棚を覗いていたのをちゃんと見て いたようだ。 後日、大きなショッピングセンターにも行ったが、ここで19ドル弱 で買ったハワイアンキルトと同じ物が「安いよ。25ドルにしておいて あげる。」と言って売っていた。マグネットも同じ物の値段を比べたが、 ここのお店の方が安かった。 別にこのお店の回し者ではないが、お勧めだと思う。結局、最後 に足りなかったおみやげをこの店に買いに来ることになってし まった。 |
まあ、こういう所にくれば、こういうのはたいていあるが、 それでも、やっぱり外せない物であろう。アリゾナから引き 上げられた時計である。 |
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沈没したアリゾナの上に建てられたメモリアル。中央に 立っている国旗を揚げるポールは、沈没しているアリゾナ のポールである。正直、これほど浅いところに沈没している とは思わなかった。メモリアル右手にもアリゾナの船体の 一部が見える。 |
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これがそうである。あいにくの雨のせいで水が濁っており、 その下の船体までは確認が出来なかった。 |
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これは港の施設に置いてあるメモリアルの模型。ちょうど、 ケースの上面が海面くらいになる。上の写真がメモリアルの 右側でケースの上に出ている円形の部分である。 |
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メモリアルのすぐ向こうには現役艦が見える。ここはすでに 海軍基地の一角なのだ。タイに行った時にも感じたが、日本 にくらべ、軍隊が遙かに日常生活に近いところに存在する。 右側に見える白い物は、真珠湾攻撃があった時に、各艦が 停泊していた場所を示している。正面に回ると、艦の名前が 書かれている。 |
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雨に煙るパール・ハーバー。今は美しく整備された公園だ。 映画の「パール・ハーバー」を思い浮かべるが、どうしても、 今のこの風景にあの激しい戦闘は重ならない。 |